【創業ストーリー】
45歳からの仕事に
脱サラ起業を選んだ男が
成功の階段を上る!

アイブレイン株式会社の代表の渡邊です。

「45歳からの仕事に脱サラ起業を選んだ男が成功の階段を上る!創業ストーリー」と題しまして、当社の創業ストーリーを少しお話させていただきたいと思います。

どちらかというと45歳よりもその5年手前の40歳の方が、人生の折り返し地点だと考える方が少なくないかもしれません。

しかし、サラリーマン生活と並行しながら起業の準備をずっと続けてきたので、私は40歳からの仕事や男としての生き方を考えること余裕が持てず、準備を重ねてようやく45歳でやっと脱サラ起業に挑戦することができました。

これまでの常識的な生き方からポンと飛び出て自由に大きく羽ばたくイメージで、脱サラ起業して会社経営の道を歩む覚悟を決めたのです。

仕事というのは、男性の私のみならず、もちろん女性の方にとっても生き方にも直結するのではないかと感じています。

40代で転職活動をして、自分の望むライフスタイルを手に入れたいと考える方もいらっしゃるかもしれませんし、ライスワークを卒業してライフワークを手に入れたいと思う方もいらっしゃるのではないでしょうか。

 

この記事は、出身大学のOB活動で寄稿させていただいた「45歳からの起業について」の文章に加筆修正を加えて、さらにバージョンアップしてアイブレイン株式会社の創業ストーリーとしてお届けいたします。

どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

【創業ストーリー】45歳からの仕事に脱サラ起業を選んだ男が成功の階段を上る
~寄稿した文章を元にバージョンアップ~

 

高卒で18歳の時に社会人デビューした私は、社会人学生として22歳からの4年間、茨城大学工学部システム工学科の夜間学生として在学して、平成7年度(1996年3月)に卒業をしました。

どうして仕事をしながら大学に入ろうと思ったのか?というと、当時はまだ学歴社会の風潮があり、高卒よりも大卒の方が給料が高い傾向が強かったため、自分も高給取りになるには大学卒業資格を得るのが最善の手段であるという考えを持っていた頃だったからです。

しかし、時代は大きく変わって、終身雇用制度は崩壊して学歴社会も大きく変容したのはご存知の通りです。

それから20年近くがすぎて、45歳になった私は、生まれ育った地元の福岡県内で一念発起してIT/Web関連の会社を起業しました。

起業の大きな原動力となったのは、「これで自分も高給取りになれるだろう」と思って大学を卒業した後しばらく経ってから大きな挫折を味わって、悔しい思いをしたからです。

時代の流れもあって、大学卒の資格を得た直後からしばらくは破竹の勢いのごとく、企業戦士としてバリバリ働いて稼いでいました。

憧れていた大手IT企業にも転職をすることができて、技術系の特許を取ったり、IT系の資格もいくつか取得したりして、30代の前半まではそれなりに順風満帆な人生を送っていました。

 

「このまま昇格し、年収もアップして、それなりに豊かな人生を送れるのかな…」

 

などとボンヤリした将来のイメージを描いていました。

私の若い頃のプライベートはというと、学生時代から付き合っていた女性とも結婚して自分が28歳の時に子供を授かり、マイホームも購入して、日本人としては平均的な安定感のある人生を送っていたと思います。

ところが、そのような絵に描いたような幸せな生活を送っていた時に大きな大きな転機が訪れます。

33歳の夏、外資系のある大手ソフトウェアベンダーからヘッドハンティングされることになるのです。

私自身は、これまでの仕事を評価してくれている大手IT企業を辞めて、外資系企業に転職する必要性は全く感じていませんでした。

また、妻からも転職は猛反対されたのですが、、、どういうわけか、私はこの外資系企業に転職してしまいました。

 

“そして、ここが人生の転機となりました”

 

結果、私の外資系企業への転職は大失敗。

文化/人間性/仕事内容、これらの違いから私は転職後3ヵ月で鬱病になり、パニック障害を併発し、わずか9ヵ月でこの会社を退職してしまったのです。

ここからは、本当に惨めな人生の再スタートとなりました。

ある方の縁故で拾われた地元企業へなんとか再就職できたのですが、大手IT企業の華やかしい評価とは打って変わって毎年最低評価を下され、挙句の果て左遷の憂き目に遇い、もはや企業内で表舞台に立てるチャンスは完全に絶たれてしまいました。

悔しかったです…。

 

「なんでオレが…」

「なぜ、あの時、ヘッドハンティングに乗ったんだろう…」

 

過去を悔やみました。完全に自信を失いました。

でも、魂の奥底で声が聞こえて来ました。

 

「このままじゃ嫌だ!」

「こんな人生で終わってたまるものか!!」

 

わずか1%にも満たないこの想いが、私自身の背中を押してくれたように思います。

私は、人生の再起に向けて準備を開始したのです。

そう、“絶対に起業して成功する!” と心に誓ったのです。

なぜ起業することを決意したのか?というと、それは会社に雇われている中で大きな挫折を経験したので、雇われない仕事をして再起するには起業しかないと思ったからです。

この時、私は35歳を迎えようとしていました。

そこから10年が過ぎ、満を持して45歳の節目を越えた時に私は遂に起業を果たすことができました。

業種は、ITコンサルと物販(飛び込み営業)の2本柱としました。

 

ところが、です。

 

起業に向けての準備は、10年もの時間をかけて万全に出来たと思っていたのですが、会社の創業初年度は完全に惨敗でした。

お金はそれなりに貯めていたとは言え、経営ノウハウはゼロなわけです。

サラリーマン以外に、八百屋のバイト経験しかなかった私には、いきなりの会社経営は無謀そのものでした。

まだまだ続く住宅ローンに、子供の教育費や生活費等々、貯めたお金はあっという間に消えていきそうな事態になりました。

私はというと、当時借りていた事務所で近所のスーパーの半額弁当を温めて食べる生活が続きましたし、夫婦の絆にもヒビが入っていたのが遂に決定打になってしまいました。

 

「もうダメか…」

 

この一言が脳裏に浮かび、見るに見兼ねた友達から「ハローワークに行って派遣でもなんでも仕事を探した方がいい」と言われる始末。私はすっかり弱り果てていました。

本当に追い詰められて、一度は会社をたたもうと思った時に、信じられないかもしれませんが奇跡がいきなり起きました。

 

私が作ったホームページから、たった1本の化粧品が売れたのです。

 

得意分野のITコンサルと物販(飛び込み営業)を主軸として起業した私でしたが、雲行きが怪しくなり出した時期に危機感を感じて、「このままではダメだ」と思い、力を振り絞ってインターネット上でアフィリエイトという手法を用いた物販サイトを制作していました。

そのサイトを作り始めて数か月後のその日、初めての売上が上がったというわけです。

 

実は、これが現在の当社の主力事業『CAPプラス』を築き上げる大きなキッカケとなりました。

そこから私自身も経営者としての自信を取り戻すことができまして、会社の快進撃が始まり、おかげさまで業績もV字回復を果たしました。

現在の当社の強みはSEOです。

SEOとは「Search Engine Optimization」の略であり、『検索エンジン最適化』と訳します。

この技術を用いて、インターネット上のユーザーが抱える様々な悩みに答える(価値ある情報を提供する)ことで、そこで紹介した物やサービスの成約を取るサイトを作ることと、このスタイルを協業形式で個人の方にブログ収入を得ていただく門戸を開くことがミッションです。

これまで培ったITスキルもこの世界に投入して、とても役立っているので、人生何事も無駄がないなと思えるようになりましたし、ここで満足することなく、ここからが本当の勝負だと思っています。

以上、駆け足でアイブレイン株式会社の創業ストーリーをお届けしました。

ITバブルが弾け、日本経済は不況に突入し、失われた20年などと言われてきました。

ビットコインや暗号通貨(仮想通貨)といったニュー・ビジネスの勃興も含めて、金融革命は既に始まっていると私は思います。

また、ITの次にIoTが当たり前となり、AI時代に突入し、いずれ世界はシンギュラリティとなるでしょう。

しかし、今の時代の事業としてインターネットの世界を選びそこで生き残るには、自分のブランドを持つことを最初から意識しておいた方がいいと確信しています。

個人の方こそ、21世紀のこれからの時代に必要なのはご自身のブランドです。

今は「未常識」のことでも近未来においては、それが常識と感じるようになって来るように思います。

個人の魅力をインターネット上で発信して、経済に強くなるサポートをするのが、当社の使命です。

 

私の話はここまでとなりますが、最後に一言だけお伝えさせてください。

 

“行動し続ければ、夢は必ず叶います”

 

45歳で起業した私ですが、まだまだ叶えると決めている夢が山のようにあります。

インターネットの世界は、年齢も性別も、そして学歴も家柄も一切関係ありません。

個人の想いや志しがあれば、誰でも勝負のできる世界です。

今回の私のメッセージが、少しでも皆さんのお役に立てれば幸いです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

 

 

アイブレイン株式会社

代表取締役 渡邊 益弘