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会社代表プロフィール

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※F通時代に大変お世話になった上司の定年退職パーティにて

はじめまして、アイブレイン代表の渡邊益弘と申します。

当社は、2012年10月17日に法人登記しました。
※この記事を書いている時点で、現在第7期目を迎え、そろそろ第8期に入ろうとしています

この時、私は43歳になっていましたので「40代からの起業」ということで年齢的にはかなり遅い方、つまり、「人生最後のチャレンジ」という気持ちを託した “挑戦” だったようにも思います。

満を持し、準備万端でスタートさせたつもりの起業でしたが、起業当初は散々でした。

初年度の売上が立たずに、止むを得ず会社を休眠させてしまいました。

その後に3年掛けて会社を休眠から復帰させたものの、それでも事業を軌道に乗せることが出来ず、社長業をやりつつ、ソフトウェア開発を派遣先に常駐して兼務でやるという2足の草鞋(わらじ)状態を続ける有り様なわけでして・・・。

そして、本当に満を持して、49歳の誕生日を迎える直前の2018年秋にようやく片方の草鞋(派遣先での常駐ソフト開発)を脱ぎ捨て、自分の会社の基盤が整えることができました。

紆余曲折ありながらも、自社の方は本当になんとかおかげさまで継続的な黒字経営ができるようになりましたので、ここであらためて感謝の気持ちと新たな気持ちで所信表明をしたいと思い、私自身のこれまでの軌跡を兼ねたプロフィール(自己紹介)を公開させていただきたいと思います。

 

なお、私のプロフィールを公開する主な目的は、次の2点です。

 

  1. 諦めなければ、いくつになっても、どんなことでも形になる(夢が叶う)ということを知っていただき、あなたの人生に役立てていただけると嬉しいと考えていること
  2. これからの時代は、個人が努力次第でいくらでも光り輝かせることができ、それを仕事としても活かせるため、国や会社組織に依存しなくても生きて行くことが可能だということを知っていただきたいということ

 

上記は、本プロフィールの文末をお読みいただければ、ご納得いただける構成となっておりますので、最後までお付き合いいただければ幸いです。

次で、私は当社代表としてあらかじめ言っておきたいことがあります。以下、お読みいただけますと幸いです。

  • 当社は、個人の可能性を最大限に発揮させ、自立を支援する会社です。
  • そして、自立した個人様同士を繋ぎ、融合し、個の力を有機的に増強させる仕組みを提供します。
  • よって、法人をお持ちの方で、組織全体でのSEO対策を望まれる場合には、当社サービスの特性上個人の方をクローズアップできるような形に変換して対応できるように善処します。

我々の顧客は、”個” です。

個に自立を促し、独立させ、個同士がチームを組成し、インターネットを活用して経済に強くなった状態で楽しく生きて行く世界を創ります。

 

それでは、これからちょっと長くなりますが、個人の魅力にフォーカスしたお話のひとつとして、私のプロフィール&自叙伝的ドラマチックストーリーを展開していきますので、どうぞお付き合いください*^^*

 

 

転職ばかりを繰り返し、地に足を付けることが出来ない男、それがアイブレイン代表の渡邊ですw

幼少時代から、ずっと担任の先生に言われ続けて来たことがあります。

それは、

 

「この子は、落ち着きがない」

 

という内容でした。

小学1年から6年の通知表の右下のコメント欄には、毎年必ず上記の言葉が書かれていました。

今、この頃の当時の傾向を思い出すと、私はサラリーマン勤めはおろか、おそらくアルバイトなども長く続けることが出来ないタイプの子だったんだなと思います。

実際、社会人になるまでに経験したアルバイトは、高校生の頃の八百屋さん程度でしたが、実はこれも長くは続きませんでした。

八百屋さんを辞めて何をしたのかは後述させていただきますが、ここまでの自己紹介で、私が “いわゆるダメな子” だったということは想像に難くないと思います。

ところが、こんな私にも得意なものがありまして、、

それが、「算数(数学)」と「美術」でした。

とにかく計算は得意で、珠算と暗算は小学生大会にも出場するために県外にも遠征していました。

また美術に関しては、小学生から中学生までのあらゆるコンクールで優勝しまくっていて、ボンヤリと

 

将来は画家になるぞ

 

と思っていました。

小学校の頃、寄せ書きに書く将来の夢は、常に “画家” でした。

現時点ではまだこの夢は叶っていませんが、きっと50代以降に叶うという自信があります。

こんな学生時代を過ごしてきた私でしたので、さぞかし裕福な家庭に生まれ育ってきたと思われるかもしれませんが、実は全くの真逆で、家賃7,000円の木造の町営住宅に高校を卒業するまでの18年間暮らしていました。
※貧乏だったにも関わらず私の可能性を引き出そうと、幼少時代に色んな塾や習いごとに入れて私の可能性を見い出し、引き出そうと一所懸命だった母には頭が上がりません。今でもずっと感謝の気持ちで一杯です

とにかく家が貧乏だったため、私は幼少時代からお金を稼ぐことばかり考えていました。

ここで、人生の中でたった一度の経験しかない高校時代の八百屋さんのバイトを辞めた後のことを話しますと、実は私は高校2年の17歳位から本格的に始めたものがありまして、それが『パチンコ』だったのです。

お金を稼ぐ方法として、普通の学生は労働時間と引き換えにアルバイトで汗を流すことを選ぶと思いますし、その経験が社会人になってから役に立つと考えますよね?

当時の私はそんなことを1%も考えたことが無く、

 

「いかに短時間で荒稼ぎできるものはないか?」

 

ということだけにアンテナを張っていました。

ですので、その当時の八百屋のバイトで時給475円を稼ぐのと、パチンコで稼ぐことを比較した場合、どう考えても後者の方が効率が良かったというわけです。

ここで、パチンコ経験のある方は、「そんな簡単にパチンコで稼げるわけがない」と思われるかもしれませんが、そんなことは無かったです。

当時のパチンコ屋さんは、新装開店になると釘を緩め、2、3日は赤字覚悟でホールを開放していたのです。

また、現在のようにパチンコ基盤内部のプログラムである「ロム」の規制が厳しくなくて、癖のある台つまり攻略すれば勝てる機種というのが多く存在しており、私は新装開店とロム解析を終えて攻略可能な台のみを打っていましたので、信じられないかもしれませんが、1日も負けることがありませんでした。
※実際に新装開店のみを狙ったパチプロ(新装開店プロと呼ばれていました)も全国各地に存在していましたね

そんなわけで、私は高校時代の後半は、ほぼパチプロと化していました。

財布は常に福沢諭吉さんでパンパンでしたし、もしかしたら、この当時が一番リッチで豊かな人生を謳歌していたのかもしれませんw

こんな高校生だったため、その後、社会人になって会社組織の中で決められた規則を真面目にこなすサラリーマンなどは、到底やっていけるはずも無かったんだろうと思うわけです。

それでも、社会人になってサラリーマン生活をスタートさせた最初の1社目の会社は、8年間も勤務することが出来たのは、なかなかのものだったなと今になっては思いますけどね…w

 

 

転職を繰り返す中で最初に味わった大きな挫折は、某外資系ソフトウェアベンダーへの転職でした…

私の社会人デビューは、高校卒業後すぐになります。

私が社会人となった1980年代の半ば頃という時代は、世の中はいわゆるバブル全盛期でした。

バブル崩壊後によく耳にした言葉に「就職氷河期」というものがありましたが、私が最初に社会人デビューした頃は、就職氷河期なんていう言葉はまず誰しもが思い付くこともできない就職率がほぼ100%のバブリーな時代でした。

人材獲得は完全に売り手市場となっていて、我々学生は結構どこでも簡単に就職出来ていたように思います。

実際、私の高校時代の友達は、バイクばかり転がしてろくに勉強もせず成績も中の下でしたが、某大手自動車メーカーへ簡単に就職が決まっていました。

私はというと、どうしても地元の福岡を離れ当時付き合っていた彼女と東京へ出て行きたかったので、あえてガチガチな大手企業は就職先の対象から外し、関東で寮のないホワイトカラーな仕事を探して、条件に合致する会社を見つけることができて、そこに就職しましたw
※実は就職と同時に彼女との同棲生活を目的としていたわけですね(-_-;) そんな私が今じゃ、会社経営者なわけですから笑えますでしょ?

 

 

社会人になって最初に味わった屈辱、それは「高学歴=高収入」という構図

「地元を離れ彼女との同棲生活を送る」

これが、私が社会人になる目的だったのです。

その先のことなんて何も考えていませんでした。

好きになった彼女と、誰も知らないところへ行き、二人で幸せに暮らすことが出来れば、他は何も要らないと思っていました。

まさに “若気の至り” というものです。

しかし、今の若い世代の人達を見ると驚かされますよ。

学生起業家さんも沢山いらっしゃるじゃないですか。

彼らと同じ歳の頃の私は、起業なんてことは1%も頭の片隅にもありませんでしたからね~。

ところが、いざ社会人になって就職すると、若気の至りの “愛さえあれば、他は何も要らない” は一瞬で消え失せました。

なぜなら、高卒社会人の私と、同期の大学卒業の社会人の収入が桁違いに違っていたことが判明したからです。

月収レベルでその差5万円、ボーナスになると差は更に広がり、20万~30万は大学卒の方が高かったように思います。

これが最初に味わった社会人としての無音の洗礼でした。

 

  • 仕事内容が同じ
  • 労働時間も同じ
  • 時に私の方が高度な専門技術を追求している自負はあった

 

にも関わらず、学歴という仕切りで振り分けられた収入格差は、当時の私を熱くさせました。

そして私が選んだ道は、『大学進学』だったのです。

 

 

1980年代当時、年収UP&出世は学卒である必要があった!大学卒&転職でこれを実現させることは出来たのだが…

大学進学の動機は、大学卒の連中との収入格差を無くすことでしたが、それと同時に会社組織を見ると、この当時はほぼ全員大学出の社員のみが出世していることもわかりました。

そのため、

 

「ここは、何が何でも学位を取得せねばならぬ!」

 

と褌(ふんどし)を締め直すような気分で、大学入試の勉強をスタートさせるのでした。

「大学でもっと勉学に励みたい」なんていう勤勉学生が口にするような言葉なんて、私の中には微塵の欠片も出なくて、ただ単に

 

“もっと稼ぎたい!!”

 

という心の叫びという名の情熱だけで、私は働きながら大学の夜間部へ進学を果たしました。

社会人5年目の春、22歳の時でした。

念のため付け加えますと、動機は不純な大学進学でしたが、当然ですが受験生の間も大学在学中も必要な勉強はしましたよ。笑

特に受験勉強の期間は土日を返上して、図書館通いを1年間続けました。

大学生になってからは、昼間は社会人・夜は大学生という二重生活をしていたので、休む暇なくいつも何か行動していたように思います。

忙しい中でも、無事に4年間で大学を卒業することができまして、そこから転職を図りました。

8年間務めた会社を辞め、Uターンで福岡へ戻り、最初に転職したのはソフトハウスでした。

最終学歴が晴れて「大学卒扱い」となり給料はUPしたのですが、やはり所詮ソフトハウスは中小企業なわけですから給料には限界があります。

当時の成功セオリーとして、”大学卒ならば大手企業へ転職し、終身雇用で出世街道を狙う” というものがありました。

私は密かに福岡にある大手電機メーカー系のSIerへの転職をしようと決断して、見事数年後に狙っていた会社に転職することができました。

ここで、私の年収は当初の想定通りドンとアップしました。

正直、この時点で私は “人生の勝ち組に入れた” と勘違いしていました。

ところがそれは、コッテコテのバブル期を経験してきた浅はかすぎる思考だったことに気づかされる事件が発覚するのです。

日本特有の高学歴&終身雇用という考えの古さは、その次の更なる転職で知ることなるのでした…。

 

 

まさかの更なる転職で私は階段を踏み外すことに…。人生初の挫折、鬱、パニック障害、、自殺願望、、、

大手電機メーカー系のSIerへの転職は、私の中では前述したように人生の勝ち組へシフトできた感覚を持っていました。

なので、当然ですが、私はここを人生の最終地点と定め、この先の人生はここの会社で骨を埋めるべく一所懸命に働きました。

その甲斐あって、ここの会社では上司にも恵まれ、社内の評価はずっとトップとなりました。私はもっと社内での評価を得たいと思い、特許を出願したり、資格を取得したりと、とにかく会社側から見れば優等生そのものの行動と結果を残してきました。

実はここの会社に入る前の私は、転職先の会社とは別に色んなことを平行してやっていて、一時期はインターネット上で趣味が高じた巨大コミュニティの運営等も行い、報酬を得ていましたし、高校の頃から培ってきたパチンコによる副収入もありました。

ですので、実のところ、お金に苦労したことは一度も無くて、常に何らかの収入源は複数持っていたのです。

ただ、大手電機メーカー系のSIer時代だけは、それら全ての副業的なことを全て辞めて(捨てて)、この会社の一翼を担う企業戦士と化していました。

そんな矢先に “マサカ” が起きたのです。

ある外資系企業から、ヘッドハンティングを受けたのです。

悩んだ挙句、私はその外資系企業へ再度転職をしました。

この時、既に私の年齢は34歳となっていました。

そして最悪な事態が起きたのです。

私は、この外資系企業が肌に合わず、結果3ヵ月で鬱病となり、パニック障害を併発し、転職後わずか9カ月で退職してしまいました。

これが私の中での人生最大の挫折となりました。

それまでの栄光は何だったんだろうと自分自身を疑い、自信を失くし、自殺ばかりを考えるようになったのです。

妻と子、そしてまだまだ続く住宅ローンが重く自分自身に圧し掛かっていました。

 

 

人生の再起を掛けて再度なんとか再就職するものの、そこで待っていたものは左遷とパワハラだった…

私は外資系企業を辞め、なんとか地元の大手企業に拾われました。

ほぼ、縁故に近い形であるお方の力をお借りして、なんとか転職できたというか、、、再就職できた有り様であり、明らかにこれまでの転職とは、事情が異なりました。

自分自身の更なるステップアップというこれまでの華やかなものとは全く異なる、私にとって人生の崖っぷちギリギリで救われた悲劇そのものだったわけです。

そして、この地元の大手企業への転職先で待ち構えていたものは、それまでの経験と実績を完全に度外視された左遷の憂き目と社内一劣悪と噂されたパワハラ部署への配属でした。

 

「もう二度と過去のような栄光を掴むことは出来ないだろう」

 

と一時期は底辺まで落ちこんでいたのですが、私はここで徐々に精神的な病気から快復出来てきて、再び、ビジネス界のリングへ上がる決意が固まりました。

それが『起業』だったわけです。

ここでハッキリと言っておきたいことがあります。

私は断言したいのです。

それは、

 

“挫折の経験があったからこそ、今の自分がある!!”

 

ということです。

結局、私はこの拾われた地元の大手企業に10年間勤めて、早期退職制度を利用して、自主退職し、今の私の会社である『アイブレイン株式会社』を立ち上げたのです。

 

 

アイブレイン株式会社 代表取締役 渡邊益弘 が、あなたへお伝えしたかったこと

会社代表の自己紹介(プロフィール)としては、あまりにも長すぎるストーリーにお付き合いいただき、ありがとうございます。

実はこれには、ある理由(目的)があります。

それは、こんな私でも40代半ばで自分の会社を立ち上げてここまでやって来れているということを包み隠さずに公開することで、一人でも多くの方(特に、30代後半以降で転職や再就職が難しいと感じているサラリーマンやOL、もしくは主婦の方)に、

 

「もしかして、私でも独立・自立した生き方がこれからでも出来るかもしれない!」

 

という希望や、忘れかけていた夢を取り戻していただきたいと思ったからです。

高校卒業と同時に就職。

就職の目的は、彼女との同棲生活をスタートさせるためという、私はあまりにも人生の目的を軽視しすぎていた未熟者の選択そのものでした。

その結果、34歳の時に鬱病とパニック障害を併発させて自殺を考え、人生初となる挫折を味わいましたが、ここで多くのことに気づかされました。

 

一番の気づきは、”本気で学ぶ” ということ。

 

これは何か特定の分野についてではなく、「自らの人生を本気で学ぶ」という意味です。

具体的には、「もっと幅広い分野の書物を読む」ことであったり、「心理学を学ぶ」ことだったり、先人の知恵を授かるために「歴史や史学を学ぶ」ことだったりするわけですが、私は34歳でようやく気づくことができて、本だけではなく映画鑑賞、速読法、速聴法など、ありとあらゆる自己啓発に関することを体系的かつ短期的に集中してインプットしまくりました。

更に、単に知識の修得だけではなく、経験の必要性も感じ、世の中で敬遠されがちなビジネスにも自ら進んで取り組んだりしました。

その結果、法律や財務に関する知識を身に付けることができたのですが、何より良かったことは

 

「人がやらないことをやる」

「人が誤解するようなことにチャレンジする」

 

といった、法に触れないギリギリのところを攻めていくことで、細かな人の心理を読めるようになったり、エグい交渉能力を身に付けることができ、これらの経験が今の自分へバトンを渡すために重要なことであったと思います。

このように、私は鬱病と挫折の経験から今現在に至るまで、妥協せずに一切手を抜かない生き方をしてきました。

簡単なことと難しいことが目の前に用意された時には、迷わず難しいことを選択するようにしてきましたし、世の中で認知され難いであろう分野にチャレンジしてきました。

 

 

チャレンジの先に見えた異なる2つの大局的な収入形態

このようなことを34歳から15年近くの長期に渡って続けていく中で、分かったことがあります。

それは、人が生きるために得る収入形態の違いについてです。

具体的には、

 

“「労働収入」と「権利収入」の違い “

 

というものです。

労働収入というものは、時給いくらで働く仕事から得られるもののことです。

アルバイトやサラリーマンは、ここに分類されますが、医者や弁護士も、実は労働収入によって収入を得ています。

つまり、自分が働き続けない限り、収入を得続けることが出来ないもの、これが労働収入です。

これに対し、権利収入は一度築いた仕組みによって権利的な報酬を得ることを言います。

私はネットワークビジネス(MLM)の世界で、この権利収入というものがあることを知りました。

MLMの場合、自分から始まった販売組織の売上や代理店をフランチャイズさせ、その代理店の売上の数パーセントを代理店育成料として報酬を得ることが出来ます。

これが、権利収入となるわけです。

これは、一見合理的に見えるのですが、人が人を紹介することによって人と人とを繋いで行く必要があり、その性質上、ネズミ講的な商法に似ていることから、合法ということが分かっていても、必ず心の片隅でネガティブな感情を拭い切れないため、徐々に組織は縮小傾向に向かって行きます。

ただ、ひと昔前ならば、それもある一定の組織数を経過点とし、そこを過ぎれば急に組織が拡大していき、莫大な富を得ることも可能性としてはあったわけです。

ところが、今の時代はインターネットのインフラが整備され、わざわざ人から人へ情報の伝達を行わなくても、人が生きるために有意義な情報は入手できる環境が整っています。

そのインターネット上に、自分自身で何かの仕組みを作ることで権利的な報酬を得ることが可能になっているわけです。

億を稼ぐユーチューバーなる人達が出て来たのも、インターネットの環境があるから実現できることですよね?

権利収入は、他にも株や不動産の権利、著作権から得られる印税などもあります。

また、大手企業の会社オーナーになれば、会社組織そのものが仕組みとなるためにオーナー特権として会社の売上に応じた役員報酬が権利収入とも言えます。

本当に賢い人、例えば、ソフトバンクの孫さんや楽天の三木谷さんなどは、莫大な権利収入を得続けていることは想像に難くないですよね。

私は、大きな挫折を味わったおかげで、それまでの生き方を変えることができました。

そして、徐々にですがこのような収入形態の違いを体系的に理解することができ、また、インターネット・マーケティング・ビジネスにチャンレンジしたことで、普通のサラリーマンでは得ることが出来ない権利収入を獲得できるようになりました。

もしも、私がこの挫折を経験せずに、大手電機メーカー系のSIerとして、そこそこ評価を得続けたままのサラリーマンをやっていたとしたら、プログラマーやSEとしてのスキルや、会社内でのマネジメントスキルは高めることが出来たかもしれませんが、それらは全て会社組織内で労働をして得られるサラリー、つまり労働収入でしか無かったように思うのです。

現に、昔から付き合いのあったサラリーマンの知り合いは、会社内で出世されている方も居ますが、権利収入は手に入れていません。

その先にあるものは定年であり、定年を迎えた後は、再雇用で賃金がカットされ、それでも労働を続けて収入を得続けるしかありません。

 

 

誰にでも権利収入を獲得するためにインターネット上に仕組みを作ることは可能です!

このように書くと、私からの嫌味なメッセージで終わってしまいそうなのですが、決してそんなことはありません。

私が手に入れたインターネット・マーケティング・ビジネスで確立させた仕組みというものは、この私のメッセージをお読みになられている全ての方へ当社から提供することが可能なのです。

つまり、インターネットの仕組みを使ってあなたも権利収入を獲得することが、当社と共にできます。

こんな何の先見の明も無かった私ですら、わずか数年でインターネット上に仕組みを作り、今ではこうして会社を経営できています。

インターネットの世界であれば、あなたがどこの誰であっても、学歴があろうがなかろうが、年齢が高齢であろうがなかろうが、女性であろうが男性であろうが、全く関係なく、あなた自身の仕組みを作ることで、権利収入を得ることが出来るようになります。

チャレンジするのに、遅いことなんて何一つありません。

 

人生は自分で作るもの。

遅いということはない。

by ケンタッキーフライドチキン創業者
カーネル・サンダース

 

KFC創業者、カーネル・サンダースさんは65歳で起業し、1000回以上も断られても諦めずに事業を成功させたお方です。

「自分に特別な才能があったわけではない」と言い切っていたカーネルさんですが、幼少時代から「美味しいもので人を幸せにしたい」という思いをずっと持ち続けてKFCの起業に辿り着いたそうです。

それまでに職を転々としていたことも有名な話です。

当社のメインサービスである『CAPプラス』は、あなたの忘れかけていた夢を思い出せてくれる最強の手段であり、その夢を実現するための具体的な手段であると、私達アイブレインは思っています。

あなたのチャレンジをお待ちしております。

 

 

アイブレイン株式会社
代表取締役
渡邊 益弘

2019年1月2日 記

 

 

追伸

49歳の誕生日を迎える年のある日に、カラオケで歌ったのは、この曲でした*^^*

思い出せば、社会人デビューの頃から影響を受けて言霊のように歌っていましたね。

 

 

 

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